環境放射能は多くの人々に対し重要な成果を生み出すことができる科学分野
放射性物質輸送のモデリングに興味を持たれたきっかけは何ですか?
私は1973年に今のウクライナのオデッサ環境大学を卒業し、水文工学の学士号を優秀な成績で取得しました。好きな科目が数学と物理だったので、とくに計算水文学(Computational Hydrology)と計算水理学(Computational Hydraulics)を専門に学びました。この分野での私の最初の3つの論文は、まだ学部生だったころにソ連の科学雑誌に掲載されました。大学を卒業し、二等兵として1973年から1974年までソ連空軍に従軍した後、モデリング研究を行っていたウクライナ科学アカデミー(ASU)の水力学研究所で働き始めました。水力学は水文学よりもより数学的な学問なので、興味のある分野でした。この研究所で私は大学院を修了し、1983年に数値流体力学に関する博士論文を提出しました。チェルノブイリ事故以前は、水環境における放射性物質のモデリングに携わることになるとは想像もしていませんでしたが、水文学と水力学の両方をカバーする私のこうしたバックグラウンドが、1986年以降の研究へと私を導いてくれたのです。
IERに来る前はどのような研究をしていたのですか?
チェルノブイリ事故以前は、河川や沿岸域の波浪、乱流、浮遊土砂輸送の数値モデルを開発していました。開発したモデルを応用できる分野の一つとして、津波の波形や高さ、津波による沿岸構造物への影響のモデリングがありました。また、ウクライナの河川や黒海沿岸域における潮流や浮遊土砂輸送のモデリングも、私の研究の応用分野の一つです。
ウクライナの河川における放射性物質輸送のモデリング研究は、チェルノブイリ原発事故から9日後の1986年5月5日に始まりました。事故後、ASUはプリピャチ川とドニプロ川におけるセシウム137とストロンチウム90の輸送を予測するための意思決定支援システム(DSS)に基づくモデルを開発し、水質汚染軽減対策の正当性を評価することを目的としたタスクフォースユニットを立ち上げました。チェルノブイリ原子力発電所は、キエフの上流110km、ドニプロ川の支流であるプリピャチ川のほとりに位置していましたが、当時、放射能汚染の危険性を予測できる人は誰もおらず、こうしたモデルの開発は非常に重要と考えられました。このドニプロ川水系は、原発周辺の高濃度汚染地域からキエフへの放射能汚染水の通り道でしたし、800キロメートルに及ぶ河川や貯水池を通って黒海へと至る水路にもなるものでした。さらに、春には融雪や豪雨による洪水で、河川水を介した放射性物質の移動が増加する可能性も考えられていました。そのタスクフォースユニットはASUサイバネティクスセンターのプログラマーやコンピュータ類、建物を使用することとなり、私は計算水文学・水理学の専門家としてセンターに招かれました。その後、タスクフォースユニットのリーダーとして、キエフにいてデータ収集を行うだけでなく、チェルノブイリ立入禁止区域の中に入って直にデータを集めました。
1986年9月に、ウクライナ政府に最初の予測結果を提出しました。1987年3月にはASUのサイバネティクスセンター数理機械システム研究所に環境モデリング部門が新設され、タスクフォースユニットの中心的な専門家がスタッフとして招かれました。私はその部門長に任命され、1987年から1992年まで、春の洪水期には毎年ドニプロ川の放射能汚染予測を行い、その結果を政府に提出しました。また、立入禁止区域で発生したその他の緊急事態の影響や、原子炉を覆う新シェルターなど区域内の建設プロジェクトが環境に与える影響も、モデリング結果に基づいて予測しました。これらのチェルノブイリに関する研究が評価され、2004年にウクライナ国家科学技術賞を受賞しました。
1989年までソ連ではチェルノブイリ事故による汚染に関する情報が厳しく管理されていたため、私は海外の科学者と情報交換や共同研究をする機会がありませんでした。それでも、モデリングシステムを開発する過程で、大西康夫先生が開発した当時最も包括的なモデルを学術論文を通じて見つけました。大西先生は日本人で、米国で博士号を取得後、米国のパシフィック・ノースウエスト国立研究所(PNNL)で放射性物質の河川・海洋輸送モデルの開発に携わっていました。私は、「水―堆積物―浮遊土砂」系における放射性物質交換のパラメータ解析に、大西博士が提示したいくつかのアプローチを用いました。私が日本で仕事を始める何年も前に、キエフの私のチームが開発した数値モデリングシステムが日本人科学者の影響を受けていたとは、なんという偶然でしょう。1989年のペレストロイカ以降は外国人科学者との情報交換や協力に関するあらゆる制限が撤廃され、原子炉の安全性に関するソ連-米国間のプログラムで初めて米国を訪れた際、PNNLで大西博士に会うことができ、これが私たちの長年の科学的な協力の始まりとなりました。大西先生とは、PNNLだけでなく、キエフやチェルノブイリ、そして福島でも一緒に仕事をしました。
1990年代から、私は数多くの国際プログラムに参加しました。その中でも特に大きなものは、欧州委員会が主導したEURATOM RTDプログラムです。これは、チェルノブイリ事故後に開発・導入された「最良の」モデルをベースに、原子力緊急時のリアルタイムオンライン意思決定支援システム「RODOS」を開発しようという意欲的なプロジェクトでした。ドイツのカールスルーエ技術研究所がコーディネートしたこのプロジェクトの目的は、大気拡散と沈着や水文輸送といった環境中の放射性物質輸送モデルと、農環境における食物連鎖による放射性物質の移行モデル、さらに予測された大気、水、土壌、植生、食品中の放射性物質濃度に基づく住民の被ばく線量算定モジュールを、ユーザーフレンドリーなインターフェースの下に統合することでした。このシステムでは、原子力発電所周辺で測定されたモニタリングデータベースと数値気象予報システムとの連携が必要です。また、どの原子力発電所向けにもカスタマイズできる装置を備えており、さらに事故後の発電所周辺の放射能汚染を予測し、住民の被ばく線量を低減するために最も効率的な対策の正当性を評価できる必要がありました。キエフの我々のチームが開発したチェルノブイリ周辺の河川と海洋環境のモデル一式は、RODOSシステムの水文拡散モジュールに統合されるよう修正されました。1990年代初頭から2013年まで、RODOSシステムのさらなる開発が、私の研究活動の主要な部分を占めていました。
その他の重要な仕事は、国際原子力機関(IAEA)の調整研究プログラムに参加し、モデルと測定値の相互比較に基づいて環境放射能モデルの検証や改善に関する研究を行ったことです。1990年から2013年まで、VAMP*1プログラム、(同プログラムの河川・貯水池グループの議長に選出)、BIOMOVS*2計画、EMRAS*3プロジェクト、MODARIA*4といったIAEAプログラムに参加しました。
*1 Validation of Environmental Model Predictions
(環境モデル予測値の検証)
*2 Biospheric Model Validation Study
(生物圏モデル検証研究)
*3 Environmental Modelling for Radiation Safety
(放射線防護のための環境モデリング)
*4 Modelling and Data for Radiological Impact Assessments
(放射線影響評価のためのモデリングおよびデータ)
これらの国際的なプロジェクトへの参加を通じて、本当の意味で国際的な環境で働くという経験をすることができました。もちろん、異なるバックグラウンドと目標を持つプロジェクトマネージャーと研究者の間では激しい議論が交わされることもありますが、研究開発プロジェクトにおいて有益な実用化を達成するためには必要なことなので、私はそれを恐れることはありません。
IERで働くことになったきっかけを教えてください。
チェルノブイリ事故後の河川における放射性物質動態のモデリング経験を考えると、福島第一原発事故で汚染された日本の水環境で自分の知識を活かすことに挑戦すべきではと考えました。そのため2012年に、筑波大学(現在IERの連携推進会議メンバー)の恩田裕一教授から、チェルノブイリでの研究成果紹介のために日本へ招待するとのメールを受け取ったときは、非常にモチベーションが上がりました。2012年秋の10日間の来日では、東京と筑波大学での講義、福島のモニタリングサイトの訪問、恩田先生や難波謙二教授(2011年にドイツで行われたRODOSプロジェクトの会合でお会いしたことがありました)との面会を行い、訪問後は自分のモデリング経験を福島で活かしたいという思いが大きく膨らみました。
そして2013年7月のIER設立に先立ち、2013年5月にIERの特任教授への内示を受け、受諾しました。IER設置委員会から、旧ソ連の「チェルノブイリ研究者」として他に誰をIERに招くべきかと意見を求められたので、キエフで同僚だったセルギイ・キーヴァ博士(2014~2015年までIERに在籍)と1986年からチェルノブイリや多くの国際プロジェクトで一緒に仕事をしてきたとタイフーン研究センター(ロシア・オブニンスク)のアレクセイ・コノプリョフ博士(現IER副所長、特任教授)を推薦しました。また、放射生態学の専門機関として、ウクライナ農業放射線生態学研究所のチームを推薦し、そこからヴァシル・ヨシェンコ博士(現IER教授)とオレナ・パレニューク博士(2014~2016年までIERに在籍)が後にIERに参加しました。2013年11月18日、コノプリョフ博士と私は、IERの特任教授、そして最初の研究者として福島に到着しました。2014年に教授のポジションに応募し、2015年から2016年は教授として勤務した後、定年のため特任教授となり、現在に至っています。
IERでの研究内容についてお聞かせください。 これまでにどのような発見がありましたか?
IERでの私の研究課題は、福島県の河川や貯水池におけるセシウム137動態の数理モデリングと、SATREPSプロジェクト(後述)の枠組みでのチェルノブイリ立入禁止区域におけるセシウム137とストロンチウム90の現在の動態モデリングです。これらの活動は、福島県および原発事故の影響を受けたその他の地域における環境放射能の動態を支配する主なプロセスについて理解を深め、IERで測定・処理されたフィールドおよび実験データを利用して放射性物質の動態を予測するためのモデリングツールを改善するというIERモデリングチームの目標に沿ったものです。
具体的には、次のような目標を掲げています。
(1) 環境媒体(大気、河川、湖沼)中の放射能拡散に関するデータと新しい知見を分析し、関連するモデルの予測能力を向上させる。(2) 数日から数週間単位の極端な気象条件下での放射能の拡散や、数十年単位での放射性物質の長期輸送をモデリングにより予測する。(3)実施される対策が、環境汚染を確実に食い止め、被災地の一般市民の被ばく線量を低減できるかどうかを、モデリングにより検証する。
福島県の河川では、チェルノブイリ立入禁止区域や他の欧州の河川における輸送と比較して、洪水時に浮遊土砂によって輸送されるセシウム137の量が著しく多いことが特徴です。そこで、私は、この現象をより正確にシミュレーションするために、懸濁態の放射性物質の輸送をより効果的にする為のサブモデルの開発に取り組んでいます。
キーヴァ先生と共に、DHSVM-Rと呼ばれる新しい放射性物質輸送の分散型流域モデルを開発し、斜面に設置した実験プロットからのセシウム137流出シミュレーションに使用しました。実測データは脇山先生と恩田先生に測定・処理いただき、このシミュレーションによって、さまざまな流域の因子(例えば、斜面の急峻さ、土壌タイプ)が、流域からのセシウム137の総フラックスやその溶存態/懸濁態の配分に対して果たす役割を分析するために、DHSVM-Rが利用可能であることが実証されました。また、DHSWM-Rにより新田川上流域での除染活動が下流域の低地に与える影響を定量的に評価しました。その結果、除染が森林以外の限られた地域で行われたため、低地におけるセシウム137濃度は、河川流量の自然変動を考慮すると、モニタリング測定で特定できるレベルでは減少しないことが明らかになりました。
さらに、DHSVM-Rと2次元モデルCOSTOX-UNを用いた貯水池内のセシウム137輸送のモデリング研究により、山中の貯水池が沿岸河川に対して汚染土砂の「トラップ」として重要な役割を果たすことが確認されました。これらの貯水池は、流入する汚染土砂の大部分を底泥に沈降させ、低地の著しい汚染を防いでいるのです。
加えて、分岐する河川網での水フラックスを計算するためのより強固な数値計算アルゴリズムや、コンピュータのグラフィックプロセッサによる2次元モデル方程式の並列解を高速化するアルゴリズムを開発し、数値モデルの計算性能の向上にも大きな成果を上げました。これらの成果により、一般的なパソコンでも、山間部の河川流量をしっかりと計算することや、2次元モデルに必要な高性能の計算を行うことが可能となります。
現在、IERの若いモデリング研究者は、山間部の河川における「水-土砂」間での放射性物質の固液分配に着目し、放射能水文モデルをさらに改善することを課題としています。そのためには、モデリング分野の研究者と、河川システムにおける放射性物質を対象とするフィールド系および実験系研究者との間で、より緊密な連携をとってほしいと思います。
IERでの私のもう一つの重要な活動は、教育です。現在、環境放射能専攻の修士課程で、「環境放射能モデリング」という授業を担当しています。自分の知識を学生たちと共有できることは、大きな喜びです。
SATREPSチェルノブイリプロジェクトに挑戦したきっかけは?
SATREPSは、地球規模の課題に取り組み、地域社会と国際社会の双方に実益のある研究成果を導くことを目的とした国際共同研究プロジェクトを推進する日本政府のプログラムです。1980年代後半から1990年代にかけて、立入禁止区域内でのチェルノブイリ事故の影響に関する研究は非常に活発に行われました。しかし、2014年に水位低下が始まったクーリングポンド(原発に冷却水を供給するための人工池)のような「ホットスポット」における放射性物質動態の問題が依然として深刻であったにもかかわらず、ウクライナでは2000年代初めからこうした研究の規模は急激に縮小されてしまいました。一方、立入禁止区域内で森林火災や大洪水といった緊急事態が発生したときには、周辺の居住地域やキエフへの放射性物質の拡散について、科学的に裏付けのある評価が求められます。このような評価を行うためには、立入禁止区域内で新たに測定されたデータや、事故から30年後の放射性物質の動態に関する実験データを、最新のモニタリング/モデリング装置を使って入手する必要があります。加えて、チェルノブイリでは立入禁止区域の境界線が30年以上変わっていませんが、避難区域を事故後大幅に縮小している日本の汚染地域管理について学ぶことは、ウクライナにとって非常に有益であると思いました。
日本の科学者にとっても、事故から30年後のチェルノブイリにおけるセシウム137の動態研究に直接関わることは、非常に重要なことです。なぜなら、チェルノブイリは福島にとって一種のタイムマシンであり、20年後の福島で観察されるであろう放射性セシウムの挙動の特徴を研究することができるからです。
チェルノブイリ事故と福島第一原発事故は、ともに放射性物質によって土壌や水系の環境汚染を引き起こした最大の事故ですし、IERと筑波大学のメンバーの間では、両国の科学者の協力は相互に有益で、新たに重要な科学的成果をもたらすだろうという共通の認識を持っていました。
こうして私のアイデアは日本の同僚たちにも支持され、2017年にウクライナの12の研究機関とプロジェクトの受益者である環境省立入禁止区域庁とともにプロジェクトをスタートさせました。プロジェクトは2023年3月に終了する予定です。私はこのプロジェクトで、プリピャチ川とクーリングポンドにおける現在の放射性物質動態のモデリングに携わるとともに、プロジェクト代表者の難波先生がウクライナの研究機関の研究活動を調整するのを手伝っています。私は1986年以来、こうした研究所のことをよく知っていますので。この福島とチェルノブイリの協力関係が、次のプロジェクトでも継続されることを願っています。
次のステップで取り組みたいことは何ですか?
IERとの契約は2022年3月で終了します。しかし、私のチェルノブイリや福島での経験は、まだまだIERで役立つだろうと思っています。そのため、今後も福島とチェルノブイリの共同研究に関する助言を積極的に行っていこうと考えています。
日本や福島について、どのような印象をお持ちですか?また、日本とウクライナの文化の違いを感じたことはありますか?
文化的な違いについて感じたことはどれも些細なことです。仕事に対する姿勢、友情、愛情、何が良くて何が悪いかといった一般的な観念など、核となる行動や感情に日本とウクライナで違いは見当たりません。もちろん、日本古来の文化の影響で、日本人は心の中に外国人には理解しづらい「シークレット・ルーム」(と私は結論づけました)を作っているようですが、私が持つ「ソビエト」と「ウクライナ」の文化的背景もあってか、コミュニケーションや人間の基本的な問題に通ずる共通理解には問題ないと考えています。人間はみな同じなのです。これは、来日前の国際プロジェクトでの経験や日本での生活から学んだことです。日本での8年間で、新しい素晴らしい友人を得ることができ、本当に嬉しく思っています。また、旅先で困難な状況に陥ったとき、見知らぬ日本人の方々から何度も親切なサポートをいただきました。
私は福島県と東北地方の大ファンです。車で多くの旅行をし、温泉の大ファンにもなりました。東北には、山、森、海などの素晴らしい自然、歴史的遺産、食事、そして素晴らしい人たちがたくさんいます。コロナウイルスの世界的流行が終わったら、世界中の友人を東北に招待して、私の素晴らしい感動を分かち合いたいと思っています。
これから環境放射能を学ぼうとする人たちにメッセージをお願いします。
環境放射能は、環境科学、生物学、物理学、化学、数学、コンピュータサイエンスが相互に作用する複雑な科学分野です。そして、多くの人々に対し安全な環境と健康を保障するために重要な成果を生み出すことができます。私はこの研究分野に長く携わってきましたが、重要な科学的成果を生み出し、その成果が多くの場面で実用化されるときに、本当に幸せに感じます。このような思いは、若い人たちにとっても、環境放射能研究者の一員となるよい動機になると確信しています。