より多くの人に、IERの門戸をたたいてほしい

ヴァシル・ヨシェンコ 教授

放射能の研究に興味を持ったきっかけはなんですか?

12歳くらいのときに、学校ではじめて物理学を学びました。信じられないくらい面白く、私にとって初恋のようなものでした。大学で物理を専攻することに決め、キエフ州立大学(現在のタラス・シェフチェンコ記念キエフ国立大学)に進学し、特に理論物理学を学ぼうと考えていました。そんな中、(当時のソビエト連邦徴兵制により)兵役についていた1986年4月にチェルノブイリの原発事故が起きました。事故後の調査等には多数の専門家が必要とされていたため、大学からの要請で渋々専門を放射能物理学に変更することになりました。チェルノブイリの事故が、私の人生を変えたのです。

現在、森林放射生態学を研究していますが、それは私の興味の一つにすぎません。IERの同僚たちが研究しているすべての分野に興味があります。IERの研究分野はざっくりというと放射生態学と地球科学ですが、それらはその他多くの科学の分野と関連し合う、壮大な自然科学です。

放射線は一般に危険なものとみなされています。放射線量が十分に高い時はその通りなのですが、同時に、生物のストレス反応などのメカニズムを解明する道具にもなります。また環境中の物質循環の研究では、トレーサーとしての役割も担うのです。

IERの研究室でインタビューに答えるヨシェンコ教授。
取材日: 2020年6月30日

IERに着任される前は、どのような研究所でどのような研究を行っていたのですか?

1989年にウクライナ農業放射線研究所(以下、UIAR)に入り、2014年にIERに移るまでずっとそこで働いていました。もちろん単なる偶然なのですが、私はチェルノブイリでも福島でも、事故の3年後から現地での研究を始めたことになります。UIARでは、チェルノブイリ事故に関わる環境問題についての実験研究やモデリング研究をしていました。具体的には、陸域生態系での放射性核種の動態、植物種への放射線影響、原発の燃料粒子の検出・分析、燃料粒子の環境中での移行、森林火災時の放射性核種の大気移動、農業環境における放射性核種の土壌から植物の移行や葉からの取込み、家畜の体内での放射性核種の取込みや挙動、人体や生物相の線量測定といった研究に従事しました。

どの研究も面白かったのですが、放射線生物学的な視点からの樹木への放射線影響メカニズムの研究が特に興味深かったです。これが現在の私の研究にもつながっています。

2005年、チェルノブイリ時代。原発から10キロ圏内の「赤い森」に佇む、深刻な影響を受けながらも原発事故を生き延びた数少ないマツの木を背に。

IERで働くことになったきっかけを教えてください。

2013年にIERが設立された直後、当時のIER所長らがヨーロッパの研究所の視察に訪れUIARにもやって来ました。彼らと話をして、IERの公募に応募することを決めました。自分の知識を福島に活かしたいと思いましたし、これまでの経験から福島に貢献することができると考えました。また、最新の機器や施設で研究が行える可能性についても思いを巡らせました。日本には震災以前に出張で訪れたことがあり、技術の進んだ国だということを知っていたからです。もちろん、福島での困難に立ち向かう仕事に挑戦したかったというのも理由の一つです! 

ただし、日本に引っ越すのは簡単な決断ではありませんでした。特に私の家族、親戚にとっては。親戚の中には、「行くな」と説得してくる者もおり、当初は2年間で研究を完了させウクライナへ戻る予定でした。あとになって、その考えが楽観的過ぎたことに気がつきました。福島での研究を始めると、結果が期待できる方向性へと研究計画は広がる一方で、2年間ではまったく不十分だったのです。

UIARでは非常に幅広い経験がありますが、IERでは森林の研究に特化しているのはなぜですか?

応募当時、IERが公募していた分野の中で森林が一番以前の研究を活かすことができ、貢献できると考えました。またUIARで最後に携わっていた研究も森林に関するものだったからです。

大学院生フィールド実習での樹木および土壌サンプリング。
( 写真上・下: 山木屋、川俣町)

IERでの研究やこれまでにわかったことについて教えてください。

はじめに同僚らとともに、帰還困難区域での実験サイトを設けるなど研究基盤を構築しました。私が着任する前はIERには森林を研究するメンバーはいなかったので、まさにゼロからのスタートでしたが、日本人スタッフの助けのおかげで楽しんで取り組むことが出来ました。

それから福島の森林の主な樹種であるスギ、ヒノキ、アカマツなどにおける放射性セシウム動態の傾向を確認しました。また、日本の研究チームとして初めて、アカマツの放射線影響による形態異常を報告し、線量への依存性を明らかにしました。

チェルノブイリと福島では、いくつもの相違点があります。例を挙げると、チェルノブイリは平坦な土地であるのに対し、福島は山間部が多いです。樹木の種類も異なり、樹種によって放射線への反応も異なります。たとえば、チェルノブイリの研究結果では、樹木の幹の心材(中心部)よりも辺材(外側)で放射性セシウム濃度が高くなるというのが常識で、どんな放射生態学の学術誌にもそのように記載されていました。ところが福島のスギでは全く逆であることがわかったのです。私がこのことをIERの成果報告会で発表したとき、ヨーロッパの著名な研究者は到底信じられない、という反応を示しましたが、これは間違いなく真実で、日本国内の他の研究者も同様の報告をしています。

今後はどのような研究をしていきたいですか?

現在の研究を続けていきたいです。具体的には、スギとヒノキに関して、興味深い放射性セシウムの移行を見つけたので、そのメカニズムを明らかにしたいです。また森林生態系における放射性セシウムの動態に関する膨大なデータを集めたので、今後は長期的な動向に焦点を当てて実験サイトでの調査を続ける予定です。またアカマツの形態異常のメカニズムについての研究も続けていきます。

 もっと広い範囲での希望を言うと、放射線生物学分野の研究をより充実させたいです。時間がかかりますし、設備にも人にも投資が必要ですが、その分野もカバーできればIERとしてより大きな成果が上げられるでしょう。博士課程教育にとっても有益だと思います。

 そしてもちろん、福島の汚染地域の林業復活にも貢献したいです。これまで帰還困難区域などの森林所有者の皆さんと度々会って、彼らが自分たちの土地にどんな不安を抱いているのか話を聞く機会がありました。地元の人々から学ぶことはとても多く、彼らと話すことは大きなモチベーションになります。出来たら同じ言語で直接お話ししたいものです。私たちの研究は科学的な結果だけでなく、人々に直接貢献する成果もあげなければいけないと考えています。

浪江町住民の方々との研究活動懇談会。
(2018年1月浪江町で開催)

日本や福島に対する印象を教えてください。

短い質問ですが、答えはとっても長いものになりそうです。簡潔に述べるとすると…6年以上福島で暮らしていますが、私は日本と福島が大好きです。フレンドリーで礼儀正しい人々もそうですし、IERが好きでそのメンバーであることに誇りを持っています。美しい自然や「おいしい」食べ物も気に入っています。おそらく多くのヨーロッパ人と同じように、福島に引っ越す前の私の日本のイメージは「ハイテク/近代的」だったので、こんなに美しい自然が残されていることは驚きでした。猪苗代湖や五色沼はとても良いところですし、まだまだ日本の他の地域にも行ってみたいです。

 また日本人にとっては当然の事、たとえば安全で清潔な道路、よく整備された交通網、レベルの高い医療、高齢者に対する態度などはとても大切な事ですが、他の多くの国にとっては当たり前ではないのですよ。問題があるとすると、日本語が難しすぎるということですね。少し勉強しましたが、あきらめました。きっと日本語が分からないことで多くを逃していることでしょう。

檜原湖での大学院生フィールド実習。学生、IER教員たちと。

環境放射能学を学びたいと考えている人に向けて、メッセージをお願いします。

環境放射能学は先進的な手法や機器を使って、生命の根本的な事柄を研究する学問です。急速に発展している分野ですし、研究結果は福島の人々にとって実践的な価値を持っています。

IERで学ぶことには、いくつかのメリットがあると思います。まずは海洋、動物、川、魚など、様々な分野を研究する教員がいること。そのため環境放射能学を幅広く学ぶ機会があります。それから現場に近いということ。さらに最新の実験機器や設備が整っていることなどです。学生も、こうした設備を使って研究することが出来ます。最後にこれは特に日本人学生にとって大きな利点だと思いますが、国際性豊かな教員から英語で学ぶことも出来ます。

より多くの人に、IERの門戸をたたいてほしいですね。

IER敷地内のアカマツの放射線影響調査サイトの前で。