IERの研究環境は私にとって理想的

アレクセイ・コノプリョフ 特任教授

環境放射能学を志す皆さんへのメッセージ

なぜ科学者になろうと思ったのですか?また、現在の専門分野に興味を持ったきっかけを教えてください。

私はソ連時代の1960年代に学生生活を送りました。当時ソ連では科学技術が躍進し、スプートニクという衛星が打ち上ったり、人類が宇宙に飛び立ったりといった偉業が成しとげられていました。物理や化学、数学といった基礎科学が隆盛を極めていたのです。こうした科目が人気で、多くの若者が科学者になりたいと思っており、私もその一人でした。ソ連で最も有名な大学の一つであるモスクワ大学の化学部を卒業後、進路を選択するにあたり環境化学を専門とすることに決めました。人々が公害などの環境問題を意識し始めた時期で、今後、発展の可能性がある分野だったからです。

科学に携わる人間は科学に取りつかれ、ずっとその状態でいなければいけません。我々にとって科学は仕事以上のもので、常に頭の片隅にあります。想像力と創造力が必要で、課題・難題を突き付けてきますが、私は自分が選んだ道を後悔したことは一度もありません。

IERに着任する前は、どのような研究に携わっていたのですか?

大学卒業後、環境モニタリング分野をリードする研究所の一つだったResearch Production Association “Typhoon”(以下、タイフーン)という機関で働き始め、IERに着任する2013年まで36年間勤めました。はじめはロケット技術を使った大気化学の研究に取り組みました。特に、上層、中層大気の組成とそこで発生するプロセスに関心があり、1983年に提出したPh.D.論文はこれをテーマにしました。Ph.D.取得後は、「土壌‐水」環境に研究対象を変え、陸域や水環境中における農薬など残留性有機汚染物質(Persistent Organic Pollutants、以下、POPs)の動態研究に取り組むようになりました。研究対象を変えた理由は、土壌‐水環境の研究ではより結果が期待できると感じたのと同時に、難しいだけにやりがいもありそうだったからです。そして実際、現在までずっと私の主な関心事です。

キエフで農薬の流出に関する野外調査を行っていた1986年4月、そう遠くないチェルノブイリ原発で大きな事故があったことを知りました。タイフーンは事故による環境放射能汚染のモニタリング、状況予測を実施し、政策決定や環境修復、除染戦略の策定のため提言を行うことになり、私は原発由来の放射性物質を土壌‐水環境で調査するチームのリーダーにならないかと打診を受けました。POPsの研究が順調だったので、放射能の研究に切り替えることにはあまり乗り気ではありませんでしたが、上司や友人に、放射性物質とPOPsの環境中での移動プロセスは同じだと説明されると同時に、「わが国は火中にある。この研究は、今、社会にとって本当に重要なんだ。」と説得され、打診を受入れました。1986年5-6月になるとすぐに、我々のチームはウクライナ水文気象学研究所とともに、原発にほど近い地域で、汚染された集水域からの原発由来放射性物質の流出について調査を始めました。調査結果は汚染地域の河川やため池の汚染予想に活用されました。ドニエプル川のダムはキエフ首都圏に暮らす400万人を含む何百万人もの飲み水に使われていたので、非常に重要な仕事だったと言えます。

並行して、土壌‐水環境における燃料物質やその他の原発由来放射性物質の吸着/脱着や存在形態、移行に関する室内実験も進め、1998年に原発由来の放射性セシウム/ストロンチウムの土壌‐水環境における動態について総合的にまとめた論文でドクターオブサイエンス(旧ソ連圏やヨーロッパの一部の国における教員資格で、博士号の上位に位置する学位)を取得しました。研究結果は多くの国内/国際プロジェクトに活用されました。

同時にPOPsの研究も続け、1999年から2013年はタイフーンの環境化学センター所長として、放射性物質から重金属、水銀、POPsといった様々な汚染物質の環境中での動態を研究しました。

1990年代からは国際協力の重要性が増し、私も国際原子力機関(IAEA)、世界気象機関(WMO)、国連環境計画(UNEO)などによる多くの国際プログラムに参加しました。特に北極モニタリング評価プログラム(AMAP)は深く関与することができたプログラムです。水銀に関する水俣条約や、残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約など、環境保護に関する条約締結にロシア代表として参加できたことも栄誉な事でした。

また、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の研究員としてドイツで2年間、兵器用プロトニウム精製により汚染された再処理施設があるアメリカ・ハンフォードのパシフィックノースウエスト国立研究所で半年間働くという経験もすることができました。

1994年、チェルノブイリにて(コノプリョフ特任教授は後列左端)

IERで働くことになったきっかけを教えてください。

福島第一原子力発電所での事故が起きたとき、自分は25年にわたりチェルノブイリ原発由来の放射性物質について調査してきたのだから、その知識を活かし、異なる発生経緯や環境での放射性物質の動態を比較するのがよいのではと考えました。環境中の放射性物質の動態は二つの要因に左右されますが、それは、存在形態、つまり事故の経緯と、放射性物質の飛散方向や移動速度を決める地理気象条件です。

格言にもあるように、本当にやりたいと思っていることは実際に起こるものです。2011年から2012年にかけて福島、郡山、東京で開催された福島第一原発事故に関するシンポジウムに出席し、参加者らと議論を交わす中で、福島で研究をしたいという思いはどんどん強まりました。同時期にIER設立計画が明らかになり、ヨーロッパに視察に来ていた難波先生(現IER所長)らと面会すると、IERの特任教授のポジションへの応募を進められ、2013年11月にIERに着任しました。

2013年11月、IER着任直後

IERでの研究について教えていただけますか?また研究の面白いところややりがいを感じる点を教えてください。

IERでの研究環境は私にとって理想的なものです。研究に集中することができますし、大学院での教育活動を通じて将来の研究者にノウハウを共有することができることも嬉しく感じています。

長年、私の根底にある興味関心は、汚染物質の「輸送」と「物理化学的変化」という二種類のプロセスが環境中でどのように関係し競合するのかということです。この2つのプロセスは異なるタイムスケールを進み、また詳細な研究を基によく理解する必要がありますが、最も重要なことは、異なる環境や時間軸の中で、何がプロセスに影響を与えコントロールするのか、何がさほど重要じゃないのかを特定することです。このことは放射性物質であろうと有機/無機汚染物質であろうと同じことです。環境に大きな影響を与える原発由来放射性セシウムをもとに、東北地方特有の地理気象条件下でこの基礎的な課題に取り組むことが福島での自分の任務と考えています。そこで我々のチームは、放射性セシウムの吸着、脱着、固定、再移動、ガラス状粒子(セシウムボール)からの溶出といった、物理化学的プロセスを考慮に入れながら、汚染された集水域からの放射性セシウムの流出と河川による輸送に焦点をあてて研究を行っています。研究結果は基礎研究としての目標を達成するだけでなく、モデル開発に利用されたり、環境浄化、除染、環境回復に関する政策決定や戦略立案をする際に重要なものとなります。また福島の汚染地域だけではなく、今後起こり得る原子力災害による汚染地域にとっても非常に意味があると考えています。

新田川・阿武隈川氾濫原でのコアサンプル採取

研究によって、世界が直面する課題を解決する力を得ることができます。研究とは発見、学び、共有であり、新しい知見を獲得したり、創り出すことです。常に新しいことを学び、得られた知識を世界の何かしらを解決するために役立てられるこの仕事は素晴らしいと感じていて、それが私が研究する中で刺激的でやりがいがあると感じている部分です。

五十嵐特任助教との実験の様子

今後の計画や目標について教えてください。

現在は、私がこれまでの40年間で得た知識や経験を若い世代の研究者やIERの同僚に伝えたいと思っています。彼らとは引き続き多くのプロジェクトで協力しますが、ノウハウの共有はプロジェクトの重要な一部と考えています。また修士課程の学生と関われることも楽しみのひとつです。放射能災害学や環境放射能学を担当し、帰還困難区域での野外調査や実験室でのサンプル処理といった実習も行っています。

さらに、66歳という自分の年齢を考えて、チェルノブイリや福島での研究に関する理論的、実験的成果をまとめ、より広い文脈で考察した本や論文を書き上げようと思っています。

環境放射能汚染研究の優先度に関して言えば、問題の重要性は時間とともに減少すると考えられるので、IERは20年後、30年後といった将来計画を立てる際にはこのことを念頭に置くべきでしょう。IERでの研究対象は人工放射性物質の枠を超え、自然放射性物質や有機/無機を問わずその他の汚染物質にも広げられると思います。

日本・ロシアの若手研究者と

日本や福島への印象を教えてください。

これまで8年間福島で暮らし、私と妻にとってはたくさんの発見がありました、北海道から九州までたくさん旅行し、どれも楽しい思い出ですが、やはり福島が一番です。冬にはほぼ毎週末スキーを楽しみますし、夏にはビーチにも出かけます。温泉も私たちの楽しみの1つで、福島には素晴らしい山々がたくさんあります。日本独特の文化も学び続けていて、妻は生け花を習い展覧会にも参加しています。数年前に観戦した相撲はとっても楽しかったです。日本庭園や寺院、神社のバランスや調和のとれた美しさは賞賛に値すると思いますし、それらは日本文化の重要な価値観ですよね。伝統的な価値が日本では見事に引き継がれており、このことは多くの国々の見本になると思います。

山形県の山寺にて

環境放射能学に興味のある人へのメッセージをお願いします。

環境放射能学や放射生態学は学際的な学問であるため、物理、化学、生物学、生態学、水文学、土壌学といった基礎科学の知識が必要になります。新しい知見は専門性を高めることで得られる一方で、周辺の学問の知識も必要です。環境放射能学の道を進みたい人には、まずは出来る限り基礎科学に取り組むことを勧めます。

IERは理論的な講義と、原発周辺地域での野外調査、室内実験を組み合わせた独特のカリキュラムを提供しますが、こうした学習機会は日本、または世界の他のどこにもないと思います。また最新の研究施設や機器を保有しており、放射能研究だけでなく、地形学、水科学、生化学、生態学といった周辺の研究分野にも活用できます。環境放射能学専攻の卒業生は、たとえその後の職業が放射能と直接関係したものでなくでもIERで学んだ環境中でのプロセスを仕事に活かすことができるでしょう。

IERのフレンドリーな雰囲気は誰にとっても居心地がいいですし、異なるバックグラウンドを持つ人たちとの研究は、新たな方向へと視野を広げてくれるでしょう。たくさんの言語や文化が行きかう研究所では、科学的な発見も国境を超えるものになります。